結成総会基調報告(川島慶雄 大阪大学名誉教授) 1945年、第2次世界大戦が終わり、すぐにユネスコができました。ユネスコ憲章の前文には、「ここに終わりを告げた恐るべき大戦争は、人間の尊厳・平等・相互の尊重という民主主義の原理を否認し、これらの原理の代わりに、無知と偏見を通じて人間と人種の不平等という教義をひろめることによって可能にされた戦争であった」とありますが、ここに端的に表現されているように、第2次大戦後、平和の基礎は人権の尊重にあるという認識が高まり、同時に人権の国際化が急速に進展してまいりました。しかし、1948年に世界人権宣言が採択されてから半世紀以上が経過した今日においても、そこに定められている人権が、世界のあまねく人々に行き渡っているとは到底言えないのが現状です。 この現状を打開するためには、何よりも人権教育が重要であるという認識が、近年国際的に高まってまいりました。しかし、この人権教育というものは、教育それ自体の目的に含まれているものであり、世界人権宣言では26条2項で「教育は、人格の完全な発展並びに人権及び基本的自由の尊重の強化を目的としなければならない」と述べております。 1993年ウィーン世界人権会議は、世界人権宣言の中で言われている、教育が人権の尊重を目的としなければならないという国家の義務を再確認するとともに、人権の主題を教育プログラムに組み入れることの重要性を強調しております。これを受けて1994年12月の国連総会は、1995年から2004年までの10年間を「人権教育のための国連10年」とすることを宣言いたしました。宣言の前文では、「人権教育は単なる知識の提供にとどまるものではない。人権教育とはあらゆる発展段階の人々、あらゆる社会層の人々が、他の人々の尊厳について学び、また人間の尊厳をあらゆる社会で確立するための方法と手段について学ぶための生涯にわたる過程であると確信する」と言っております。 それでは、いまなぜ人権教育なのか。国連のもとで国際人権規約をはじめとする様々な人権関係条約が生み出されているにも関わらず、それが世界の人々の心に十分しみ込んでいない。教育の本来の目的が十分達成されていない。それが「人権教育のための国連10年」という新たな運動を生み出したものと思われます。確かに、人権に関する国際条約は現在で23作成され、国際人権法と言われる分野がかなり整備されてきました。日本でも1979年に国際人権規約のうち、いわゆる社会権規約、自由権規約を批准したのをはじめ、1981年難民条約、1985年女子差別撤廃条約、1994年児童の権利条約、1995年人種差別撤廃条約、1999年拷問等禁止条約と、それぞれ批准、加入しています。また、人権関係の条約加入に伴って、国内法も段々と整備されてきてはおります。しかし、現実の社会におきましては、様々な場面で深刻な人権問題が今なお存在していることは周知のとおりです。 かつて、国連人権委員会の初代委員長を務めましたエレノア・ルーズベルト夫人は、国際的な人権というのはいったいどこから始まるのかと自問し、それは自分の近所や学校、職場といった身の周りから始まるのであって、もしも自分の周りで人権が実現されていないなら、国際的な人権と言ってもそれは何の意味も持たないのだ、ということを言っています。このことは、人権の尊重というのは国、内外の法の整備のみでは十分でないことを示すものであります。これに教育というものが加わらなければならない。法というのは規範を外部から人に強制するものですが、教育は規範意識を人の内部に植え付けるものであります。ここに、人権教育の意義が認められるのであります。「人権教育のための国連10年」はまさにこの点に着目してのことであると思われます。 さて、それでは人権教育とは何か。それぞれの教育科目を人権尊重の精神で教授、教育することも人権教育と言えるかもしれません。また、内容的には人権の性質や種類を教えるのもその一つであり、人権の歴史や現状を教えるというのもその一つでありましょう。しかし、1978年にユネスコが主宰した「人権の教授に関する国際会議」の最終文書では、「人権尊重の精神で教授や教育を行うだけでは不十分である。それだけではなく、しかるべき様々な学問分野を統合した一つの教科としても人権が教授されるべきである」と述べております。確かに、このような多くの学問分野のいわば統合としての「人権学」を構築し、これを教授する施設を作るということが重要であると思われます。今回の大学院構想はまさにこの目的に沿ったものと言えるかと思います。同時に、より重要であると思われることは、このような人権教育をすべての人々に及ぼすことであり、すべての人々が日常生活において人権を尊重するという、いわば日常的な人権の実践であります。そのためには、どうしても身近に人権についての指導的な役割を果たす人が必要になってまいります。 大阪府の「人権教育のための国連10年行動計画」でも、その課題の一つとして人権教育のための人材の養成をあげており、府民が日常生活の身近な学習の場などあらゆる機会を通じて人権教育に広く参加するためには、各分野にわたる人権問題の研修等についての府民に身近な指導者、或いは効果的な人権研修、啓発の内容を企画する能力を備えたプランナー、さらにはこれらを養成する指導者、人権問題について専門的な研究を進める指導者などの養成が必要であると言っております。 このような人権教育推進の取り組みを踏まえ、大阪府と大阪市では、すべての人々が人権問題を正しく認識・理解し、それを日常生活において実践できるようにするために、身近な指導者や指導者の指導者というべき専門性の高い高度な指導者の養成をめざすことになったのであります。 以下、報告書の中身についてですが、これはあくまでも当面の試案でございまして、大学院の実現ということになりますと、カリキュラムなどを含めてより精緻な検討が不可欠であります。 (・・中略・・) 最後に、高等教育機関実現に向けたプロセスの提案として、1研究科1専攻4コース(修士課程)の夜間大学院、或いは夜間大学院大学が最も望ましい形態であり、これは国の高等教育改革の方向にも合致するものである。また、国際的なアピールにも十分応え得るものであると言っておりますが、これを公設置公営という形で実現するのは非常に多くの困難がある訳でございまして、それに代わる色々な形も考え得る訳で、4つのオルタナティブと言いますか、選択肢をあげております。 1つは国立の高等教育機関設置への働きかけ。これは、人権問題に関する大学院レベルの高等教育機関は、国の行動計画実現の一環として、国で設置するのが本来の姿ではないかとも思われる訳ですが、1998年以降、大阪府、大阪市でも設置検討を要望しており、引き続き、国に対して強力に働きかけるということであります。2番目の既設高等教育機関の拡充による実現に向けた取り組みは、これは大学次第であり、なかなか困難であるとは思います。3番目の既存人権関係機関や大学等のネットワーク化による実現への取り組み。これは1であるとか4が非常に困難だということになった場合の、一つのオルタナティブとして考えているものです。 我々のこの会議のめざすところは4番目の夜間大学院大学の設置ということであります。これを今後実現するために、府・市だけでなくて、各界各方面の幅広い参加協力を促して、設置に向けた公・民のノウハウやエネルギーを結集することが重要であるとしております。それで、「今後実現に向けては新たな機関を設ける必要がある」ということですが、今回幸いにこの府民会議というものが設置され、ここで今後の実現に向けて、皆さんのお力を借りて十分に検討していきたいと考えております。
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