【2.成人教育の歴史的背景】
私は成人教育という分野を研究しておる立場ですが、成人教育といいますと、日本ではどうも社会教育の分野でないかというように考えられやすいところがあります。しかし、社会教育というのは、これは日本独特の言葉でございまして、外国語に翻訳するのは大変難しい言葉です。つまり、これをソーシャルエデュケーションというように訳しますと、外国では違った受け止め方をされる。つまり、社会性を養う教育とか、市民性を養う教育ということであればソーシャルエデュケーションでいいわけですけれども、日本で言っている社会教育は、もちろんそういう中身がないわけじゃございませんが、基本的には学校の教育課程外で行われる組織的な教育活動、つまり、正規の学校教育以外の教育というものを「社会教育」と言っています。
従いまして、大学で公開講座をやればそれは社会教育ということになりますけれども、成人教育ということから申しますならば、別に社会教育に限定されることではないわけでして、例えば、大学で学んでいる人たちも公開講座に限らず正規課程で学んでいてもこれは成人教育といっていっこうに差し支えないわけす。欧米等で成人教育の関係者の集まりに出てみますと、実に多彩な人たちが関わっております。例えば、刑務所の中で教育に当たっている人です。これも必ずしも刑務所の中だから矯正教育だけをやっているかというとそうではなく、刑務所の中でも一般教育的なこともずいぶん行われております。
イギリスに滞在しておりましたときに向こうの雑誌を見ておりますと、真ん中ににこにこしている人がいまして、その両脇に刑務所の看守が立っておるというグラビアが載っておりました。これは人権問題になるかなと思いましたが、本人が承諾したから問題にならないのでしょう。実は刑務所の中で学位を取ったというので、そのグラビアが出ていたわけですね。つまり、刑務所の中でもそういう勉強の機会というものがきちんと与えられていて、矯正教育だけではなくて、そのような学問もできると。
もっとも、日本でも戦時中に投獄された人で刑務所の中で勉強したという人もあるようですが、ただまあそれは非常に限られた制約の下であり、まして学位を取るなんていうようなそんな勉強ではなかったのだと思います。いずれにいたしましても、成人教育というとそういった人、あるいは軍隊で教育にあたっている人も関わっているといえるわけです。これも軍事教育とは限らないわけでして、例えば、第二次世界大戦の終わりの頃になりますと、いかに復員して一般市民に戻るかということについてやっぱり教育が必要だと。つまり、市民教育というものをきちっとやるというような役割を持った人たちが軍隊の中で存在していたわけで、そういう人たちも成人教育者です。その他病院の中で看護師の教育に当たっている人であるとか、いろんな人たちが成人教育者ということになります。
もちろん大学も成人教育の部門を持っておりまして、成人教育を盛んにやっていて、日本で言えば公開講座というように考えられます。こういう言い方をすると天に唾する、自分に返ってきますが、日本の公開講座は、その場限りといったら語弊がありますが、ついでにというような色彩というものがこれまで多かったのです。しかし、イギリスやアメリカなどでは、成人教育に取り組む、いわば、日本流に言えば公開講座のようなものをやることを本務とする教員が配置されていて、それが年間通じて計画を立て、教育を推進してきたということがありました。日本でも今、大学の中に生涯学習教育研究センターといったずいぶん長い名前のセンターが置かれたりしておりますが、そういうところにいる教員は一人とか二人でございますけれども、英米では決してそうではなくて、十数人とか数十人が配置されていて、その中には社会学専攻の人もおれば物理学専攻の人もいるし、あるいは法学専門の人もいれば、数学専門の人もいるというような非常に多彩な人たちが成人教育を本務として配置されているということがあります。
そのように考えてまいりますと、成人教育というものは決して学校教育を排除するものでないということは言うまでもないわけでありまして、成人教育の研究誌、あるいは一般の成人教育についての雑誌等を見ましても大学院の学生の話もたくさん出てまいります。大学院の学生はどうしたって、普通に考えて成人になっていますが、さらには、まさに25歳以降に入学した人というのはある意味で生粋の成人学生といいますか、そういう人たちも非常に多い。もう少し言えば、イギリスなどに例を取れば、大学院レベルでいくと、パートタイムスチューデントと。つまり、パートタイムで学んでいる人の方がむしろ多いというふうに言っていいかと思います。そうすると、こういう人たちはまさに成人学生ということで、成人教育というカテゴリで扱ってきたのです。
そういう面が日本ではややもすると非常に欠落していたと申しますか、意識されてこなくて、もっぱら社会教育のところだけで考えられてきた傾向がなきにしもあらずです。確かに1980年代ぐらいから、盛んに社会人入学というようなことで大学等においても成人学生の存在がクローズアップされてきましたけれども、それまでは成人が大学で学ぶというのはたまたまのことであって、一般的な現象とは見なされなかったということもあります。
ご存じのようにスウェーデンは1970年代に大学に成人を非常に多く入れました。これは、一つには若い人に比べて成人が若い頃に高等教育機関で学ぶことが少なかったので、そのギャップを埋めなければいけない。民主主義、あるいは教育機会の平等ということから言っても、かつて高等教育を受けなかった人をそのままにしておくというわけにはいかんだろう。やはり今の若い人と同じように学ぶ機会を提供すべきであるというのが一つ大きな理由でしたし、もう一つは経済発展とも関係ありますが、産業技術がどんどん新たになっていく中で、やはりそれに合わせた形での技術習得の機会をきちんと保障しなければならないということから、大幅に成人を入れる。つまり、成人を別枠でと申しますか、違った選考方法で入れるということをやりましたから、一時1970年代中頃のスウェーデンは成人学生でキャンパスがあふれかえるという状況がありました。私が訪ねたのは1980年代の初めでしたけれども、その頃でも非常に多くの成人学生がキャンパスにいました。半数以上が成人学生といってもいい。
その後、少し枠をそちらの方に拡大しすぎて、若い方が今度は入りにくくなったというようなことがあって多少の是正が行われたようですけれども、いずれにしましても、成人が学ぶ機会は、もちろん社会教育おいても大事ですが、同時に正規の学校教育、日本の場合は大学でも正規コースは大学院も含めて学校教育のカテゴリーに入りますけれども、そこでのきちんとした保障がもっともっと考えられなければならないということがございます。
そういう意味で、成人教育というカテゴリーを使った場合には、学校教育、社会教育とも含めて成人の学びというものを考えるということにつながるかなと思うわけでして、そういう意味で、そういった人たちが十分学び得る、しかも、自分たちの生活を切り拓く、そういう学びができるという大学なり大学院が存在することの必要性は大変大きくなっていると思います。
そもそも成人教育の歴史を見ましても、民衆教育ということから始まっています。多くの民衆は教育を受ける機会が乏しかった。王侯貴族は家庭教師について学ぶという時代において、そういったことができない人たちは教育機会から取り残されていった。そういう中で、実は学校づくりというものを考えてみれば、民衆教育運動と本来は、かなりつながっているところもあります。
確かにオックスフォード大学やケンブリッジ大学というと、エリート大学というようなイメージが非常に強いけれども、20世紀の始まりにオックスフォード大学で行われた成人教育についての論議の中で大変おもしろい論議がございます。オックスフォード大学にもっと労働者階級の人たちなど民衆を入れるようにするということの主張の根拠として、歴史的に見て、もともと大学をはじめとして学校は、一部のエリートのためではなくて、まさに一般の民衆を入れるために作られたものじゃないかということが提起されているわけです。
先ほど申しましたように、皆さん方も映画ではよくご覧になるように、かつて貴族であるとか、あるいは上流階級は家庭教師を雇って学ぶということがよく行われていたわけでありまして、そういう人たちは学校というものは必要としなかったということになりますが、そういうことができない民衆の立場からすれば学校というものを必要としたということがあります。そういう意味においても、もともと、本来学校、大学は多くの人々に学ぶ機会を広げるという意味合いを持っていなければならないというような言い方もできうると思われます。
ご存じのように大学拡張という言葉がイギリスでは19世紀の後半からよく使われるようになりました。University Extensionという言葉です。私もいたことがあります龍谷大学は、エクステンションセンターを瀬田キャンパスに作ったりしておりますし、今、深草キャンパスの方にも置いておりますが、エクステンションというと何か公開講座をやるためのセンターというイメージが強いところがあります。
大学拡張がケンブリッジ大学、そしてオックスフォード大学、さらにロンドン大学、そういった大学等で19世紀の後半に広がっていくときには、大学でやっているような教育を一般の人々にも広げていくという意味合いがあったわけですから、公開講座の拡張というような意味合いもあったことは間違いないんですが、さらに、もう少し見てみますならば、地方に出掛けていくということをやっています。何もオックスフォードやケンブリッジへ来てもらうという、あるいはロンドン大学へ来てもらうということではなくて、大学のない地方に出掛けて行って、そこで大学人が教育機会を人々に提供する。
そうした場合、当然それを受け入れるというか、そのよりどころとなる場が必要ですから、そこにカレッジのようなものが作られて、そしてそれが母体になって今度は地方にどんどん大学ができていく。イギリスではこれをシビック・ユニバーシティー、市民大学とよびます。日本では市民大学といいますと、社会教育で講座を開いたりするときにそういう名前をつけますが、そうではなくて文字通り「市民の大学」、つまりオックスフォードやケンブリッジのような古典的な大学ではなくて、まさに市民が勃興していって、それぞれの工業都市であるとか、あるいは商業都市であるとか、そういう地方都市においてできてきた大学をシビック・ユニバーシティーといっていますが、そういう大学ができてくる契機になったということがございます。文字通り大学がそうやって広がっていきました。
単に公開講座が行われたというのではなくて、地方に大学を広げていく、そういうきっかけ作りというものがそこでなされた。そういう意味においても、大学拡張という言葉が大変意味深いものだというように思います。
そういうことで、日本においても、大学全入時代という状況にはなっていますけれども、現在の社会人の方々でもっと学びをさらに今日的なものにする、あるいは今までどちらかといえば不十分だった分野についての改革をしていくということを求める人たちは大変多いのです。国際人権大学院大学というのもそういった角度から位置づけて創りあげていく。そういう意味でのエクステンションということが今、大変大事だろうと思いますし、また出来上がっていく大学院は、まさに地域を越えたエクステンションがなされなきゃならないし、eラーニングもその一つの手段です。また、場合によってはその地域に出掛けていって、そこでいろんな学びの機会が持たれるというようなこともあっていいわけだし、場合によってはそこにブランチ、分校ができたっていいわけです。最初からあんまり大きい構想をしてしまうと難しいかもしれませんけれど、そういったことが期待されます。
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