【6.人権教育における課題】
人権教育は、終わりはないといいますか、学び続けなければならないものです。生涯学習という言葉も使われますが、要するに、継続的な教育というものを保障していくことが大切です。
従来、人権教育も非常に限られた、極端に言えば一回きりの講演会であるとか、仮に何回かの講座等があっても回数も少ないし、系統性もどちらかというと欠きがちでありました。講師の都合等もあるかとは思いますけれども、本当の意味でこの人権というものを系統的にしっかりと学んだり、あるいはそれについて本格的に取り組むという教育機関が欠落していたといえなくもないと思うのです。そういう中で、継続的に、あるいは系統的に学ぶ、コアになるところが必要だろうということです。そして、そこで人権学習についての内容とか方法についても研究し、開発していく。先ほど申しましたように成人基礎教育についても研究したり、援助者を養成する。
これは単に文字を教えるとか、あるいは基礎的な技術を教えるというだけですむわけじゃなくて、すでに識字学習などの中で指摘されたように、学ぶ側から援助者が学びながら相互教育として進めていくときに、本当にお互いの高まりというものがあるということが分かっているわけでありますから、まさにそこに人権という視点が入ることによってそれが可能になってくるのです。
そういうことを考えましても、あらゆる分野に人権の柱がきっちりと入り込むような、そういうような指導者、あるいは援助者の養成が欠かせないし、なかんずく成人基礎教育の場合には、それはもうほんとうに不可欠であるということが言えます。
そういうことで、広い意味でのリーダー養成ということが課題です。今まではどちらかというとリーダー養成も一般の人の学習もかなりミックスされて行われてきた。それ自身が別にいけないことではないのですが、やはりリーダーシップを発揮するためには、それなりの方法についての習得、あるいは場合によっては実習的な体験というようなものも必要です。あるいはそれに裏打ちされての学びというものもまた必要です。
だから、この国際人権大学院大学が夜間となっている意味は、社会人が学びやすいというだけのことではないわけでありまして、まさにそういった日々の生活への取り組みと学びとを接合していくということにあり、そのためにはパートタイムで学ぶといいますか、それになるのが当然であるという言い方もできるわけです。
1920年代から30年代にかけて信州を中心として各地に広がった自由大学の運動がありますが、これは土田杏村という評論家が中心になってというよりも信濃の青年たちと土田杏村とが話し合って広げていった自由大学であり、高倉輝とかいろんな人たちが関わっていました。
そういう自由大学などでも、働きながら生涯学ぶ、これがほんとうの大学だということを言っているわけでありまして、単に一時期に学ぶというのではない。また、働くということと無関係に学ぶところでもない。そういうものとしての人権大学院大学が、あらゆる高等教育機関のモデルにもなるというような期待もあります。
さらに、先ほど申しましたように学際的なアプローチです。いろんな分野の学びを人権というところで統合していく。人権にいろんな角度からアプローチすることによって、人権教育のことであるとかいろんな問題が見えやすくなってくるというか、発展させることが可能になるんではないだろうかというように思っています。
言い換えると、まさにリカレント教育であります。もう一度学び直すという教育はリカレント教育といっていいわけですけれども、そういうリカレント教育の場は大学院レベルでもあり得るというか、むしろそれが大きな意味を持ってくるというように言ってもいいのだろうというように思っています。
そういうことで、大変過大な期待ばかり申し上げて恐縮でございますけれども、やはり夢は大きく、実現には様々な苦労もあるし、また現実とのすり合せということも必要ですけれども、意味そのものは、いろんな角度から広げて捉えておくということがあっていいだろうと思いますし、なかんずく成人教育の立場からすれば、今申しましたような大きな期待が持たれるということです。もちろん他の分野からもいろんな期待は寄せられているところですから、それらとも総合しながらその実現に向けて取り組めればということを願いながら、大変荒いスケッチでほんとに申し訳ありません。本日の講演会にふさわしいものになり得たかどうか大変疑問でございますけれども、せっかくお集まりの皆様方とともに今後ご一緒にいろいろ取り組むことができれば、という願いを込めまして、お話をさせていただいた次第です。
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