国際人権大学院大学(夜間)の実現をめざす大阪府民会議
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1.最近の我が国の人権の状況
  ・社会福祉基礎構造改革の狙い
2.我が国社会の深刻化する問題
  ・欧州における状況と「ソーシャル・インクルージョン」の理念
  ・CANの活動
  ・ポスト地対財特法への活用
3.環境政策の変化
  ・環境・社会・経済の融合
4.国際人権大学院大学(夜間)への期待

(社会福祉基礎構造改革の狙い)

 私自身、先ほど略歴の中で紹介していただきましたが、5年程前は旧厚生省社会援護局長という仕事をさせていただいておりました。その時の私の一つの生涯をかけて取り組んだ大きな仕事というのが、社会福祉の基礎構造改革です。私は福祉の仕事をする前は、国立病院という現場を預かるといった医療の仕事をしていましたが、医療の世界から福祉の世界へまわった時、非常に奇妙なものを感じました。
 医療の世界はまさにボーダレスです。日本だけで、または小さい国立病院だけで仕事が終わるわけではありません。色々な国の国境を越えて考え方が動き回るわけです。それは医療技術だけではなくて医療に関する思想・方法もボーダレスで、アメリカ・ヨーロッパで行われている技術・思想は日本にも影響を与え、また逆に日本における高い医療技術も全世界に行われているわけです。
 その中で例えば20年前には日本ではまったくなかった、医療を行う場合は、必ず患者さんの同意がなければ行ってはいけないといったインフォームドコンセント。20年前は、すべてお医者さんにおまかせしますと言って、自分の両親・子どもの命を預けるというのが通常でしたけれども、今やそうではなくて、医療の方法を決めるのは患者さん本人、もしくはその肉親が決定をする、そのような時代になったんだろうと思います。医師を中心にした医療側と我々患者とは対等の関係になっているというのが医療の世界の常識になっています。

 しかし、福祉の世界では、福祉というのは与えられるもの、または慈善でしてもらうという考え方が今でも根強く残っているのではないかいう気がします。今から15年くらい前に、私は保育の仕事の課長をしていました。当時の保育の考え方は、福祉というのは貧困者に対して「公がしてあげるもの」、「施すものである」という考え方が根強く残っていました。その典型的な例が、私が保育の課長をしていた1989年ですが、0歳児保育・乳児保育はあくまで公がお金を出して、保育所で0歳児の赤ちゃんを引き受けられるのは低所得者に限定し、中所得者以降は、引き受けてはいけないということが公の制度で決まっていました。その中には、はっきりと福祉というのが、貧困者を対象にするというものが根強く残っている。そしてその中には上下関係の存在というものが読める訳であります。しかしこれはおかしい。0歳児にとって貧富の差はないし、またはその0歳児にとっての本当の幸せというものから考えれば、親というよりもその子どもに着目すべきだと思う訳です。
 また、最近は当たり前になりましたが、高齢者に対するホームヘルパーも同様です。高齢者のホームヘルパーは1962年から制度化されました。その時の考え方は、あくまで世帯を中心とする貧しい人達に対してホームヘルパーを「出してあげる」という考えなんですね。1982年になって、ようやくそれが全ての人を対象にホームヘルパーを派遣するという考え方に変換してきます。

 しかし、この様な制度改正が行われましたが、福祉の中にある上下関係、あくまで福祉というのは権利ではなくて慈善であるという考え方を振り切らなければ、日本の福祉というのは本物にならないというふうに考えた訳です。これはいわば日本の福祉のパラダイムの変換です。例えばこれは戦後だけではなくて、古くは聖徳太子の時代くらいから流れてくる福祉観というものを一掃させなければいけない。これは私の福祉に対する基本的で、本当の仕事だという事で情熱を燃やして取り組んだ訳です。これはまさに、利用者の立場に立った社会福祉制度、いわば行政が上にある仕組みではなくて、利用者と事業者とが対等な関係にするのが、この基礎構造改革の本当の狙いでもありました。福祉というものを、一つの権利に構成したいという事でございます。結局3年の時間がかかりましたが、これを実現できたという事は、私自身たいへん嬉しく、また誇りに思っております。
 しかし、今回たくさんの問題がありました。具体的な点を申し上げますと、福祉という権利を単に作っただけでは不十分ですから、それを活用できる制度といったものを併せて入れなければ、まさに絵に書いた餅ということになります。 そこで「地域福祉権利擁護制度」といったものを作った訳ですが、この名前に対して、福祉を権利と考えるのは何事か、こんな名前はけしからん、これだと反対だと言われる人もございました。そこで、こういう言葉だけで判断されるのも納得できないので、法律上の名前は「福祉サービス利用援助事業」という名前に変えましたけれども、通称は「地域福祉権利擁護制度」という形になっています。こうした事から、日本の社会の中でもこういう考え方というのが強く残っているというふうに思いました。

 もう一つ例に挙げますと、児童の関係ですね。やはり児童についても私は対等の関係にする必要があるという事で、児童の施設の経営している方々と交渉しましたけれども結局反対によってなりませんでした。その理由というのは児童の養護施設の経営者の中には、そんな事をすると、例えば児童虐待をしている親が預ける訳がないと、だからあくまで児童相談所に全面的な権限を与えて、対等の関係、親とか利用者側から施設に入れたいと言って選ぶ方法はやめた方がいいというような強い反対論が起こりました。当時、今でもそうですけれども、児童虐待が大変多くなっておりますので、こちらが譲歩するといった形で児童の関係については、現在も簡単に言えば上下の関係になっています。これについて私は、今でもどうだったのかなあというふうに思う事があります。しかし実際、児童虐待は今でも多いわけですからね。
 一方、その児童虐待が実際に生ずる典型的な例は、先程の児童養護施設の中です。例えば、千葉県の児童養護施設では、子どもを洗濯機の中に入れてしまったとか、神奈川県の児童養護施設の中では、子どもに対して身体的な暴行を加えて怪我をさせてしまったという事例がございます。ですからこういう改革というものは、まだまだ不十分な所があるのではないかと思っています。

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