(専門職大学院設立の流れ)
私どもは、専門職大学院を作りましたが、これは従来の大学院とは違い、先生については、その分野において専門的な能力を身につけた実務教員でいいことになっています。大学の修士・博士論文を取って大学の講師から助教授へ、さらに教授へといった一つのルートがありますが、そのキャリアを踏まないで民間の研究所に在籍するなど、実務的な能力がある人であればいいということです。
そういう意味では、今までの大学あるいは大学院の基準とは全く違うわけですので、学生も、卒業にあたり修士論文や博士論文というものを提出する必要がありません。このように、今までの大学の制度からは全く異質の大学院が、昨年(2003年)4月からスタートしているのです。その一つである法科大学院も専門職大学院ですから、実務家の先生がメインでいいのです。しかし、それだけの実務家がいるわけではありませんので、既存の先生方も入っております。つまり、人材を供給するという意味で、非常にレベルの高い人材を育てることが、大学や大学院が果たす機能の1番目です。
2番目は、大学や大学院を卒業した段階で、社会のどこかにポジションを置くことになりますが、そこで社会に貢献できる能力を大学卒業までに身につけさせる。これが2番目の大学・大学院の機能であります。これは、主として先ほど言いましたコミュニケーション能力や職業観、基礎学力や自分がポジションにつくための専門的な資格、ビジネスマナーの5つの能力を持った卒業生を送りだすことであります。
3番目は、企業の環境もめまぐるしく変わる現状において、そのために社会人が職場に籍を置きつつ再び教育を受ける、あるいは自分の目標を方向転換するために大学院で勉強するといった、いわゆる社会人大学としての機能です。アメリカでは3割、4割の社会人が大学院に入ってきています。こうしたことが、日本でも非常に増えてきています。この分野では、一旦社会に出て働いたけれど、もう一度自分の新たな目標のために、そのテーマについて専門的に学び直すわけですから、学生は実務家、社会人が多いのです。そのため当然夜間で通うことになりますし、土・日・祭日に学校を開いてなければ意味がありません。また、自宅でも勉強できなければ意味がありませんので、教師と顔を合わせて行なう従来の授業システムでは、社会人のニーズを満たすことはできません。また、実学を踏まえなければいけませんので、実際にある生きた案件を扱う必要もあります。
さらに、企業によっては、テレビ会議や衛星システムによる会議等をされていますので、ビデオやDVD、衛星放送やパソコン画面で同時に会議ができるようなシステムを使った社会人大学のシステムを採用しなければなりません。これは1カ所に集まって講義をするという従来型のものでは、社会人の忙しい様々なニーズに応えることができないからです。そういう意味からも、一時だけではなく将来にわたってそのような教育を行う分野が、今後増えてくるものと思います。
先ほどお話しました法科大学院は、卒業後に裁判官や検察官、弁護士になるということを狙った専門職養成の大学院であり、また会計専門職大学院についても、もちろん卒業と同時に公認会計士になれるわけではありませんが、2次試験の短答試験については免除になります。これ以外にマイクロソフト公認トレーナーの大学院や行政機関における行政経営、公共政策の大学院もいくつか出ており、今後もさらに出てくるだろうと考えています。ただ、こうしたことを進めるためには、環境の整備等が必要であろうと思っております。
そのためには、産・学・官の交流が盛んに行われていくことが必要です。産業界の実務家が、それをさらに体系的・学問的に整理し、高めるために大学に入り、教員として教壇に立つと同時に、場合によっては行政庁にも入るなどです。公務員・行政官ならば、なおさら国の様々な分野でお互いに交流し合う、産・学・官の交流というものを通して、持っている能力を高めるという環境を整えていかなくてはならないと思います。もちろん今は盛んになってはいますが、それをさらに進めていく必要があります。
さらに寄付に関してですが、日本の大学の場合、個人からの寄付を受けられますが、NPOについては、個人からの寄付は経費にはなりません。企業の場合は、資本金とそのときの利益によって、必要経費で落ちる寄付の金額が決まりますが、個人については、大学や公共機関など一定のものでないと、寄付をしてもそれは経費にならない。つまり、本人のポケットマネーになってしまいます。1千万や2千万という額をポケットマネーで払える人はあまりいないわけですから、個人がNPOに寄付をすることは困難です。税法上、アメリカのように法制度を変えないといけないということがあります。
それから、今申しましたような流れというのは、学ぼうとする個人から見ますと、自らの能力を高めるという活動ですから、そのために個人が大学や大学院に通う、あるいは会社に通います。そして、研究者は大学に近接したところに事務所を借りて勉強します。その勉強がいずれ会社に還元されるものであっても、勉強のために会社の事務所を使うことはできませんので、全ての社員がというわけではありませんが、やはり自分の研究室や事務所を持つ必要が生じてくる。研究等の分野を担っている会社は、そのようにしないと会社の中核を担う人材が育たないということです。
これは会社べったりなどと批判されますが、そもそも個人が会社の近くにマンションを事務所として借りると月20万はかかります。それ以外にパソコンやコピー機、電話などを入れて、例えば1カ月40〜50万かかったとします。それが本人の所得税の確定申告の過程で、必要経費として落ちるようになっておれば、それを実践する人も出るはずであります。
現行の日本の税法上は、経費を必要経費として所得控除を認めてくれますが、これは引越しにかかる経費であるとか、司法試験、公認会計士のような資格勉強に直結しない費用についてしか認められていません。アメリカはもっと範囲が広いのですが、これを認めていけば、個人が今言ったように週末に社会人大学に通う、あるいは夜に大学に通って勉強する。そのようにして、会社の企画書を一生懸命作り、足りない部分は、夜間や休日に社会人大学に通って知識を補うといったこともできるようになると思います。その経費を月40万として年500万ぐらいの経費を計上して確定申告を行うというようにすれば、知の創造といいましょうか、知の蓄積がなされて、結局は会社を支える人間が拡大再生産できるようになると思います。
ですから、今申し上げたような社会人大学や専門職大学院を作ってみても、結局は社会で働いている人間が働きつつ、ここで知識を拡大していく以外に知識の知財立国はあり得ないわけですから、この所得税法の改革を行う必要があると思います。
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