【6 その特徴と意義】
前に述べたこととやや重複もありますが、ここで人権プログラムの特徴を整理したいと思います。まず第1は、単発の授業ではなく「プログラム」であること。日本では文部科学省が、かつて「大学における教育内容等の改革状況について」という調査の中で、それぞれの大学に「どんな人権に関わる科目を開講しているか」ということを聞いていましたが、たぶん4年ぐらい前の調査結果をみてみると、700を超える大学のうち483の大学が人権教育科目を開設している、と答えています。ところが科目名を見ると、疑問を感じてしまうようなものも多数あるのです。例えば、「憲法」。憲法には人権条項がありますから、人権について教えているといえば教えていることになるのですが、憲法イコール人権の科目と言ってしまっていいのかどうか。あるいは、こんなものもありました。「アメリカ少数民族史」。確かにそこには、マイノリティの人権が吹き生まれるでしょう。でも、これを人権教育科目と言ってしまうだけで良いのか。また、医学部かどこかで、「中毒と社会」というタイトルの科目がありました。アディクションが生じる社会背景を講義していくんだと思うんですが、これをもって、単独で「うちの大学は人権教育をやっている」とは言えないと思います。だから、組み合わせることで、系統的に人権教育を行うことが必要だと思います。人権を概念から、歴史から、政策化の過程から、あるいは時には大学によっては運動の方法論まで含めて、プログラムにして教えていこう、複数の科目と組み合わせて教えていこう、というところに人権プログラムの意義があります。
ただし、組み合わせるといっても、すべてを網羅することは不可能ですから、大学によって特長があります。例えば、タイのマヒドン大学はバンコクの郊外にキャンパスがあります。バンコクといえば国連をはじめとする国際機関、国連、国際NGOの出先機関が集中していますから、マヒドン大学のプログラムは開発と人権を中心にした、学際的なプログラムになっています。カーティン工科大学はプログラムの創設者が、社会福祉領域の研究者であったこともあり、社会福祉のウエイトが大きいように私は感じます。インドのカルカッタ大学は、プログラム創設者が文化人類学者でしたので、文化人類学にウエイトを置いています。学際的人権プログラムといってもオールマイティに何でもできるわけではなくて、それぞれに重点領域があるのです。
ちなみに、カルカッタ大学の人権プログラム創設者は、ダリットの調査をしてきた研究者です。彼が言うには、文化人類学者が今まで研究対象にしていたのは、先住民や女性、都市の貧困層、ダリット、つまり人権侵害の対象となってきた集団であるけれども、たとえばダリットの問題のように、アジアの人権問題には、文化や宗教の問題が深く関わっていて、法で規制するというだけでは解決しないものが多い。だから、文化からのアプローチが重要だと語っていました。これは非常に大切な視点だと思いました。
2つ目の特徴は何かというと、日本の大学の人権教育は学部から、あるいは教員養成大学等が中心になって始まっていますが、世界の人権プログラムは大学院から始まっていることです。大学院というと、少数の学生を対象に、専門的に研究や教育を実施する場所です。こうしたところでの成果を蓄積してから、学部に着手するのが一般的です。確かに、学部レベルで教えようとすると、かなり基本的なことや概念や歴史も含めて幅広く教えなくてはなりません。学部の教育をするほうがかなり準備も大変だということはお分かりだと思います。研究成果をもとに、また、草の根からの要求を受けて、学部教育にすでに着手しているのは、マヒドン大学とカルカッタ大学です。
私は少人数の大学院が、研究や専門家の教育を重点的に実施することは、重要だと思っています。学部レベルの人権教育も幅広く学生の意識を変えていくためには重要ですし、これから社会に出ていく人たちに人権について知ってもらい、単に部落問題や女性問題など、個別課題を理解するだけではなくて、自分の権利をどうやって守っていくのか。こういうことを基本的な知識、あるいはスキルとして身につけることは重要だと思いますが、幅広く意識を変えるための授業は、啓発的な意味合いが強いのではないでしょうか。これに対して、研究とは、専門的にその社会に必要とされている政策の提言をしたり、時宜にかなったアウトプットを出せるということでもあります。日本では、この側面も同時に強化していかないと、人権政策が危機にさらされているようなときに、人権に関するニーズを把握し、調査をし、政策提言をできる人が育っていない、ということになってしまいます。
4ページの下に、マヒドン大学とカーティン工科大学の修士論文のタイトル例を挙げています。これを見ていただくと、学生の関心や研究内容が分かるのではないかと思います。マヒドン大学はリサーチ力を重視し、調査をもとに論文を書かせています。次に、3つ目の特徴について述べたいと思います。それは、インターナショナル・プログラムであることと、学際的コースであることです。つまり、英語で教育や研究指導を実施しており、いろんな学問領域の人たちが集まるということが、プログラムに大きな可能性をもたらしています。
英語によるプログラムなので、世界各国から人があつまり、人権について議論を深めることができます。ただし、英語の使用度合いは、土地によってかなり違いますから、たとえばオーストラリアの大学のように、そもそも英語をしゃべる国であれば、インターナショナル・プログラムなどと銘打たなくても、海外の留学生もくるし、地元の学生も入学してきます。何が言いたいかというと、英語圏の大学はわざわざ「うちはインターナショナル・プログラムですよ」と謳わなくても、英語が商品になって学生が来ますが、英語を母語としない国々では、インターナショナル・コースを特別に作って宣伝しなくてはならないし、地元の学生には、英語力というハードルが高いプログラムになってしまう、というデメリットが生じます。
一方学際的なコースのメリットは、そこに様々な領域とか専門性を持つ人たちが集まることです。司法、立法、行政、NGO、国内人権機関の職員、国際機関の職員、研究者などです。例えば、異色の組み合わせでこんな人が一緒に勉強しているという例をいくつか紹介したいと思います。カーティン工科大学に私自身が2007年に訪問したときには、パキスタン人の留学生が2人いました。2人ともAusAIDというオーストラリア政府の奨学金を受給していましたが、1人は外交官でアラブ首長国連邦赴任時代に児童労働問題の解決に関わった人、もう1人はNGOの職員として、子どもの権利の擁護に取り組んでいる人でした。同じように子どもの権利に取り組む2人ですが、外交官とNGOの職員が、同じパキスタンの中で同席して議論する機会は、あまりないでしょう。
また、香港大学では、入管の職員と移住労働者問題に取り組むNGOの職員が机を並べているそうです。さらに香港大学では、アジア・太平洋諸国の国内人権機関の職員が学びにきています。モンゴルやフィリピンやいろんな国の人権機関の職員がそこで一緒に人権について対話しているわけですから、後々一緒に協力することも出てくるでしょうし、アジア・太平洋地域は世界で唯一地域的な人権保障機関が無いエリアですから、そういう対話が進むことによって、将来人権保障機関ができる可能性もでてくるのでは、と思います。このように異色の組み合わせが出てくるわけです。
こんなふうに人権プログラムが学際的でインターナショナル・プログラムであるということは、実は非常に大きな可能性を持っていることなのです。それから、次に4番目の特徴に移りたいと思います。それは、研究と実践の融合という点です。研究を単に研究のためにやるのではなくて、あくまで実践志向で、実務領域にも、注意を払っています。例えば、講師陣に相当数の実務家を入れています。カルカッタ大学では、国内人権機関が専門的な講義を通年受け持っていますし、それ以外の大学でも、国際機関の人たち、NGOの人たちが単発のイベントで来るのではなくてかなり深く関わっています。カーティン工科大学では、移民問題や難民問題を専門とする弁護士が授業を担当していました。
他にはインターンシップとかエクスポーターを必ずプログラムの中に位置づけています。北京大学では、国連機関、NGOも含めてこれをインターンシップの対象にしています。香港大学は法学中心ですから、単にインターンシップというだけではなくて、学生たちが実際に法律相談をするリーガルクリニックを開き、実地に学ばせることをやっています。これらは、多人数の学部の授業ではなかなかやりにくいところだと思いますが、大学院ですと、インターンシップとかエクスポーターを通じて学生を育てていくことがよりやりやすいのかなと思っております。
5番目の特徴はリサーチ文化を育むということです。人権プログラムでは、研究や調査をできる力を身につけさせ、最終的には政策提言できる力の土台となる研究や調査をさせるためのものですから、リサーチ力をつけるということが重視されます。ですから、社会調査の方法や文献調査の方法あるいはリーガルリサーチのメソドロジーや、人権侵害のケース記録のとりかたなども授業に組み込まれています。
日本でも部落問題について実態調査や意識調査を社会学の領域などを中心にになってきましたが、やはり調査をしなければ課題は見えてきませんから、調査力をつけることは非常に重要です。途上国ではNGOがいろいろ政策提言をしていますけれども、自前で調査をする力が十分育っていないことも多く、やはり調査力をつけるということが重要ですし、また、開発の領域ですと、開発援助とか海外の助成金を受け取っているNGOにとっては、調査といえば対費用効果の調査であることが多く、実質的に人権にとってどうなのか、という調査は決して十分ではありません。政策提言できるためには調査による実態把握が不可欠です。
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