国際人権大学院大学(夜間)の実現をめざす大阪府民会議
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1.プロローグ
2.「人権プログラム」とは
3.調査・研究の目的及び方法
4.「人権プログラム」開設状況
5.アジア・太平洋地域の「人権プログラム」
6.その特徴と意義
7.インターナショナル・プログラムの課題

【7 インターナショナル・プログラムの課題】

 最後に、この人権プログラムの調査をした結果、見えてきた問題点や課題についてお話したいと思います。

阿久澤麻里子さん まず1つめの課題です。インターナショナル・プログラムであるということは、非常に大きな可能性を持ちますが、一方で、英語を媒介に教育・研究指導をアジアで行っていくことには問題もあります。英語を公用語にしている国や準公用語にしている国も多数ありますが――例えば、私が長年研究してきたフィリピンは、世界では第3の英語国、英語話者が世界で3番目に多いと言われていますが、それでも英語の浸透度合いというのは草の根レベルではまちまちです。経済的な出身階層と英語力は連動しがちで、英語で教育をすると、草の根の本当にしんどい問題をやっている人たちがそこに参加もできなくなってしまうという問題があります。それを克服するために、タイのマヒドン大学では、タイ語によるプログラムも始めました。そして、各大学とも、草の根の、本当に地を這い回るようなしんどい運動をしている人たちが学びたいというときに、それができるような支援もしようしています。

 このことと関わりますが、イースト・ロンドンに大変おもしろいプログラムがあります。短期でディプロマを出すものですが、イースト・ロンドンの非常に移民の多いコミュニティの中で、移民の当事者が自ら社会運動を担っていけるようになるための、リーダー育成プログラムをやっています(注:調査当時)。ここでは、学費などをかなりの程度補助していました。

 それから、2つ目の課題です。少数先鋭型の大学院研究ですから、たくさんの学生を入れて授業料を取るというふうにはいきません。なので、もしこれを日本でやるとしたら、コスト割れしないかということが、実は大きな心配事となります。ていねいに研究指導をするなら、入学者の定員を増やすことで採算を取るような性格のものではありません。発展途上国の場合ですと、民主化支援などを理由に、外国政府とか助成団体から運営資金や研究資金を助成金として獲得することもできるでしょうが、日本ではそれが難しいので、大学院だけで人権プログラムをやると、採算の上での困難があると思います。

 こう考えてみると、1つの提案で実現可能性があるかどうか分からないですが、ヨーロッパの場合は大学間連携で1つの学位を出すプログラムが2つありました。アフリカでも国境を越えて複数の大学が連携して学位を出しています。このように、既存の大学が得意な分野を出し合って、連携して1つの学位を出せば、日本でも規制緩和によって可能になりつつあることなので、ありえる選択肢ではないか、と思います。

 3つ目の課題は研究成果還元の難しさです。インターナショナル・プログラムであると、成果も英語です。これは、英語で書いたものは英語国であれば誰もが読めますが、英語を地域では使わない国において、草の根の活動をしている人たちが、そこにいる人びとが、英語で書いたものを読めるかといえば、それは大変難しい。そうすると、せっかく良い研究をしたのに、調査をしたのに、その成果を還元できなくなってしまいます。

 昨今、大学評価との関係で、自分の執筆した論文がどれほど引用されているのかがよく、評価対象になるのですが、国際的にサイテーションされるには、英語で書けという話になるんですね。苦労して英語で書いても、私が英語で書いたものを日本の人が読んでくれるかというと、何か極めて虚しい気持ちになってしまいます。結局インターナショナルに研究していくということは、空中戦になってしまう可能性があるわけです。国際と、国内の問題をどうつないでいくのか。ここを何とかつなげることが何より重要だと思います。

 4番目の課題は、大学改革との関係です。グローバル化とともに、世界が連結決済経済のようになり、みなが競争の中でしのぎを削っています。そんな中で生き残りをかけて各国が重点化しようとしているのが、高等教育です。高度な知識や技術こそが、富を生む世の中であるからです。

 そのような大学改革の中で、各大学は、優秀な学生を、それこそ世界から連れてこようという戦略を取るようになりました。人権プログラムがインターナショナル・プログラムであるというのは、英語でやっていて、国際社会に通用して、留学生がたくさん集まって、かつ国際的にも評価を受けるという、大学が生き残るため、あるいは学生を集めるために、非常に有効な手段であるという側面が一方であるのです。

 日本には700を超える大学がありますが、今、少子化の中でどうやって学生を集めるか、これは非常に大きな課題になっています。ですが、世界レベルで見ると少子化が問題なのではありません。要するに、大学が非常に大衆化してきて、非常に大学進学率が高まっています。みんなそうなることは悪いことではないはずなのに、かえって大学が大衆化すると競争は激しくなるのです。かつては少数の人たちだけが大学に行き、社会もそういう人たちを、将来の社会を担う人たちとして支援してきました。奨学金を出したり、無償で高等教育も受けさせる国もありました。しかし、大衆化してくると、みんなが行く。みんなが行くものに奨学金なんか出さなくて良い。あるいは、グローバル化とともに競争が激しくなって、大学を出ることは勝ち組になるためのパスポートになりました。だったら出世して、より高い賃金を得るようになる人を、どうして、社会が奨学金なんかで助けなければいけないんだ、という考えが生まれてきます。ヨーロッパも高等教育無償という原則をひっくり返す国がどんどん増えてきています。何が言いたいかというと、大学は個人がグローバル化した社会の中で生き残るための、個人としての資産を身につけるための場だというふうに徐々に変わってきているのです。大学も、大衆化の中ではレベルを維持しなければ、つぶれてしまいますから、競争を勝ち残るためには、優秀な人たちを入れ、新しい研究や発見をし、技術を産みだそう…と躍起になります。こんな競争原理主体の教育改革の中で、人権プログラムをやる意味はどこにあるのか、そうした根本的なところから考える必要があるのではないでしょうか。人権の最先端の研究をして、世界的に認められることが私たちの目指す、人権プログラムの目的ではないはずだからです。

 また、インターナショナル・プログラムというものは、高等教育の商品化ということにも拍車をかけています。アラブ首長国連邦のドバイにあるノレッジヴィレッジ――これは、政府がつくったテクノロジーとメディアの特区で、そこに世界の大学を誘致しました――にはバッキンガム大学があります。イギリスのバッキンガム大学に行くよりも、アラブ首長国連邦のバッキンガム大学で行った方が入学金や生活費も安いし学費も安いから、そこに行って学位を取ろうとする留学生も増えています。アラブ首長国連邦にとっては留学生が来て外貨を落としてくれるし、優秀な人が集まってそのまま残って働いてくれでもすれば、一石何鳥にもなりますから、大学誘致を国として奨励しているわけです。しかし、これは高等教育を自国に輸入して、安い免税品として販売して儲けるという、「高等教育売買」です。

 私は先日シンガポールに行きましたが、ここにはU21グローバルという、オンラインの大学の本部があります。これは、トムソン・ラーニング社という英語の教材会社(今はセン・ラーニング)と、世界各地の大学が連携してつくられたもので、オンラインでMBAを取れるというので大人気です。オンライン教育なので、ネット上にチャットルームを作って議論をしたり、オンライン書架から論文がダウンロードできたり、という工夫には学ぶことも多々ありますが、一方で、完全に高等教育は商品になっていると感じます。

 今、大学改革の中で、インターナショナル・プログラムであることは、留学生集め、学生集め乗ための手段でもあります。高等教育が人権というより、商品化の最先端を行くようになってしまったこの時代に、人権プログラムを大学の生き残りとしてではなく、本当に人権問題の解決に資するものにするには、どうしたらよいのかと、問い直す必要があるように思います。

 もちろん、こうしたグローバル化の流れに飲み込まれるのではなく、そうしたことを逆手に取る方法がないのか、大学改革の中で、人権プログラムにどんなすばらしいものがあるのか、私たちはそれらをきっちりと表現できるようになる必要があると思います。なお、今後も3年かけて、今度は科学研究費を使いながら、多様な大学の現地調査を実施する予定です。また改めてご報告したいと思います。長くなりましたが、以上、ご静聴ありがとうございました。

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