国際人権大学院大学(夜間)の実現をめざす大阪府民会議
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1.日本社会は拉致被害者の人権侵害問題にどう対処してきたか
2.日本国憲法の基本的人権を実現したのは誰か
3.自治体人権政策の確立
4.国際人権の確立
5.この20年間、私たちは何を求めてきたのか
6.これからどうする
7.国際人権としての「食べる権利」〜一つのケーススタディ〜
8.国際人権大学院大学(夜間)への期待

【5.この20年間、私たちは何を求めてきたのか】

江橋崇さん そこで、この20年間いったい私たちは何をしてきたのだろうかと考えたところ、一つ目は、地域人権と国際人権による国家人権主義の克服であります。その点でいうと、私は最近実に残念に思います。9.17の平壌宣言で金正日が拉致と認めて以来、パンドラの箱を開けたように再び日本では「人権」という言葉が、拉致被害者の人権を守らなかった革新勢力というように言われて、国家及び国家主義の手によって使われるようになってきました。また、男女共同参画について言えば、女性差別の問題をこれまでやってきたのに突然、男性の人権をどうしてくれるとかというグループが感情を丸出しに大騒ぎとなって、大阪でもあちこちで困っている話をお聞きしています。そういうところでも、要するに「人権」という言葉が、社会に抑圧され、差別されている、そういう人たちを救う切り札ではなくて、世の中を抑えつけ、秩序を維持していく、そういうものとして使われる国家人権主義に少し戻ってしまったのかなと思います。逆に、われわれはもう1度、国家の手から人権というボールをこちらのコートに持ってこなければいけないと思っているわけです。
 そして2つ目が、事案の総合的解決・救済の実現であります。つまり私たちは、実際に困っている人の問題を最後まで解決しなければいけないということです。例えば最近、DVのことがずいぶん問題になっていますが、ドメスティック・バイオレンスに関してDV法ができました。DV法ができて、問題は解決したのかというとそうではありません。DV法は被害を受けている女性、あるいは子どもが逃げてきたときの一時避難、シェルターを用意するものであります。さらに接近禁止や加害者に対するいろんな措置などがありますが、基本的にはDVの被害者に一時避難所としてシェルターを用意するということです。これはだいたい2週間です。しかしシェルターを出た後はどうなるのだろうか。その母子で逃げてきた人たちの生活はどうなるのか。あるいは病気や怪我をしているような場合、医療はどうなるのかなど、生活の諸課題というものは次々と押し寄せてくるわけですが、DV法はそれについては一言も触れていません。つまり、部分的解決でしかないのです。そういうものではなく最後まで面倒を見よというのが我々の主張です。
 アメリカのDV関係に「ワンファミリー・ワンジャッジ」という言葉があります。一家族にDV事件が起きると1人の裁判官が全部やるということです。つまり、裁判官の法廷の裁判長の机の上には、まず刑事事件の裁判記録が載っています。これに基づいて、妻を殴るなどをして怪我をさせている夫をどう処罰するかという刑事事件の訴訟記録があります。次に、妻から申し立てる離婚の申立記録があります。その間、夫は妻や子どもに近づくなという接近禁止命令の仮処分の書類もあります。その他に、子どもの養育費や親権はどうしようという裁判もあります。さらに住宅問題は日本と同じく夫名義が多いですから、夫名義の住宅から夫を追い出して妻子が住み、夫を住宅に近寄らせない。つまり先ほど言ったレメディーですから、アメリカでは裁判官が、女性や子どもが夫の暴力に泣かなくて済むようになるにはどうしたらいいか、どうすれば自立した生活まで行けるのかということを、1人の裁判官が全部面倒を見ていくわけです。そのように日本もしろというのが私たちの主張であります。
 それは、1970年代以降、部落解放運動や在日の運動などとともに戦ってつくってきたことですが、要するに日本は、例えば外国人であれば外国人であるがゆえに学校や住宅、年金や福祉、結婚や就職など様々なところで差別されるわけですから、そういう差別は1カ所だけ直しても仕方がない。差別されている原因から生じてくる様々な差別をトータルに解決していかなければいけないのです。
 以前、川崎市は在日韓国・朝鮮人の施策に関する26項目というのを決めました。つまり、首長制で区市長がリーダーシップを発揮すれば一応総合的に事務が展開できる川崎市としては、在日の人々が抱えている様々な差別について、住宅に関してはこう対応していきます、年金に関してはこうします、学校に関してはこうしますというふうに、総合的に解決して、外国人に住みよい川崎市にする。そういう総合的に施策を実行していく責任を市が認めたということなのであります。そういうふうに問題を全面的に解決しろ、救済しろというのを私たちは訴えてきたわけです。
 3つ目は言うまでもなく、様々な問題を解決するときは上から下ではなくて、当事者が参画して、当事者の声に沿って問題を解決していかなければいけないということであります。そして1990年代に入ってからは、そのために必要な法制度、条例、計画による人権政策の基盤をきちんと整備しろという意味で、人権政策とか地域の人権については条例がいちばん基本なのだということを訴えてきているように思います。よく私たちは、人権の問題に関しては、分権的構造と総合的解決、それに当事者の参画、これが3本の柱だと言ってまいりました。つまり、国家ではなく実際に市民に近い自治体が事柄の主役にならないと人権問題は解決しないという意味で、分権的な構造を得なければいけない。そして解決という以上、本人を含めてみんなハッピーに戻れなければいけないと。そこまできちんと面倒を見ろという意味で、総合的解決が必要だと。その際に、上から下に押しつけるのではなくて、当事者の希望に沿えというのが三つ目であります。そういうことを私たちは訴え続けてきたように思います。
 そして、これからどうするのかといいますと、私は今、人権政策についていくつかのことを考えています。今述べてきたような三つの分権、総合、当事者参加に基づく条例や制度づくりということはもちろん大事ですが、さらにここで地域の発展と結びついた人権政策という考え方をつけ加えなければならないと思うのです。言い方を変えると人権のまちづくりを進めていこうということです。
 21世紀の社会では、人権が守られたほうがすてきな社会になるのだというイメージをきちんと出していくことができるし、出すべきだと思います。人権がある町のほうが人権のない町よりもいいということです。

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