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2006年度総会記念講演

「多文化共生社会と国際人権」
白石 理(財団法人アジア・太平洋人権情報センター所長)


1.はじめに
2.単一民族国家
3.多様性にあふれる世界
4.多文化共生社会
5.国際化と多文化共生社会
6.国際人権
7.人権の国内受容
8.おわりに

【1.はじめに】

白石理さん 「多文化共生社会」というのは、私が日本に戻って初めて聞いた言葉です。私が日本を出る前には「多文化共生社会」というような言葉はありませんでした。最近になって言われ始めたことであると思います。この「多文化共生社会」とはいったい何なのか。私なりに考えてみました。あとでそのことについてお話します。
 また、ここ20年、30年、「国際」という言葉のついたタイトルがずいぶん増えております。例えば国際社会、国際関係、国際連合、国際学会、国際人、国際経験という言い方、国際会議、国際色といろいろと「国際」という言葉があります。日本の国と日本の外の国、その交流がこの20数年間で飛躍的に伸びたということは確かであろうと思います。
 国際社会といいますのは、いろいろな国が集まってできた社会でして、これ自体多様性を前提として成り立っているものです。日本人のやっていること、考えていることが当たり前であるというふうに思ってはいけない社会です。例えば最近の北朝鮮のミサイル問題は、日本人が当たり前と思っていることが通用しないから、国連の安全保障理事会でいろいろ議論しています。この難しい問題一つを取ってみても分かることではないかと思います。
 そこで、日本が国としていろんな違った国と協力して作っていかなければいけないというのが国際社会ですが、日本としても日本だけで生きていけるわけでもない時代です。協力しなければ日本はつぶれてしまいます。エネルギーにしてもそうですし、食料にしてもそうです。日本は国際的な貿易によって成り立っています。ですから、国際協力、国際社会の中で生きるということを念頭に置かなければ、日本の将来はないと思っていいのではないでしょうか。
 国際連合では、平和、人権、開発、発展のための国際協力という原則がありまして、日本は戦後、国際連合に入りましたときに、多くの人が国際社会の一員としてこの国際連合の崇高な理想を保っていこうと新しい出発を願ったわけです。ということは、多様性を前提とする国際社会への積極的な受容であったと言えると思います。
 振り返って日本の社会の中を見てみましょう。そこには、国内社会ではありましても、異なった文化的、民族的背景を持つ人々がこれまでにもいました。ますますそういう人が増えてきました。それによってこれまで日本社会が当然と思ってきた、あるいは当然として作ってきた制度的なものが当然ではなくなりつつあります。国内でも多様性を前提としてものを考えるべきときにきているのではないかと思います。
 国内社会が一つの社会として存続していくためには、何を共通の基盤としていけばよいのか、多様な人種的、文化的、民族的、そして宗教的背景を持つ人々が互いに尊重し合って協力し合う、そういう多文化共生社会の実現を目指せば日本は幸せになるんでしょうか。もし、そうとすれば、どうすればそれが実現できるのでしょうか。それを私は人権の視点から考えてみたいと思います。

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