国際人権大学院大学(夜間)の実現をめざす大阪府民会議
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1.はじめに
2.単一民族国家
3.多様性にあふれる世界
4.多文化共生社会
5.国際化と多文化共生社会
6.国際人権
7.人権の国内受容
8.おわりに

【4.多文化共生社会】

 多民族、多人種、多文化社会の問題を抱える国はその対応に大変苦慮してまいりました。次第に悪化していく差別、経済格差、社会格差、生活格差などに直面して、いかにして社会のすべての構成員に対して社会正義と公平を実現するかという課題を抱えてきました。そこで考えられたのが、この共生というアプローチであったと思います。このアプローチから出てくる多文化共生社会というのはどういうことでしょうか。
 私が考えますには、まず多様性の尊重です。異なる人種的、民族的、文化的背景を持つ人々が等しく互いに尊い存在として認め合うことが前提となります。それぞれのアイデンティティを自然に持ち続けることができて、それを自由に表現できるということが非常に大切です。後ろめたさを感じたり、恥ずかしかったり、そうしなければいけないような社会ではダメだということです。一つの社会の中で異なる生き方、宗教生活、生活習慣、そして多様な価値観があってもよいという寛容の原則がどうしても必要です。
 次に、多様な社会構成員がそれぞれ大切に受け継いできた文化を互いに等しく尊重し合うということが必要です。
 最後に、同じ社会の一員として互いに理解し合い、補い合い、助け合うこと。さらに社会の維持・発展のために参加し、責任を分かち合うということを可能にすることが大切です。互いの存在を認め合うものの、交流せずに分かれて生きるというのでは共生ではありません。また、社会の一員としてその自治に参加し、責任を分担することができなければ本当の意味での共生とは言えないと思います。
 もうかなり昔、1960年代でしたか、アメリカの南部でセグリゲーション(分離)ということが言われました。ディスクリミネーション(差別)ではない。セグリケーションだと。分離してそれぞれ違った生き方をするのだと。お互いに邪魔をしないということですね。
 このセクリゲーションとか南アフリカでありましたアパルトヘイトという言葉は、これ自体、分離する、分けるということのようです。この状態で、これは差別ではない、分かれて住むのだと。それは言い訳にしか過ぎないと思います。これは極端な例ですが、とにかく同じところに生きながら、お互いに交流しない、それは共生ではないと思います。
 それでは、この多文化共生社会をどうして一つにまとめようかということになりますと、それはやはり人権という考えがなければできないことだと思います。ここで、人権というものが非常に大切になってきます。

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