国際人権大学院大学(夜間)の実現をめざす大阪府民会議
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1.はじめに
2.単一民族国家
3.多様性にあふれる世界
4.多文化共生社会
5.国際化と多文化共生社会
6.国際人権
7.人権の国内受容
8.おわりに

【5.国際化と多文化共生社会】

白石理さん 第二次世界大戦後60年、日本社会は大きく変化しました。日本人は外の世界に触れる機会が飛躍的に頻繁になりました。外国人も日本を訪れて、また日本に長期間住む人も次第に増えてまいりました。最近では外国人労働者の数が飛躍的に増加しています。世界的に交流が盛んになり、国内社会の国際化が進むと、国際社会レベルでの多様性というものがそのまま国内のレベルでも見られるようになります。
 そこで、大阪では特にそうですが、人権啓発とか反差別の運動とか、そして人権にまつわる行政施策がこれまでの社会体制を変革して多文化共生社会を作るんだという運動に連なっていくように思います。いろいろ多様性を持つ人々が等しく互いに尊重しながら一つの社会の構成員として協力・協調できるように、法律や行政制度、政策を変えていこうという運動がこの大阪には今まであったと思います。
 日本には日本国憲法がありまして、その中に第3章:国民の権利及び義務、いわゆる人権規定というものがあります。そして、日本には日本国籍を持つ人と外国籍を持つ人がいます。
 さて、問題です。日本の中に日本国籍を持つ人と持たない人がいますが、憲法は日本国籍を持つ人の権利及び義務のみを規定しているのでしょうか、私はそれだけでは済ませられないと思います。第10条から40条までの日本国憲法の規定を見てみますと、「国民は」あるいは「すべて国民は」から始まる規定というのが、10あります。それから、「何人も」ということから始まるのが12あります。あとは何も言わないで始まるものが8あります。
 例えば、何も言わないで始まるとはどういうことかと言いますと、第19条の思想及び良心の自由というところには、「思想及び良心の自由はこれを犯してはならない」と。「国民は」でもないし、「何人も」でもないわけです。
 「何人も」というのを一つ例に挙げますと、「何人もいかなる奴隷的拘束も受けない。また、犯罪による処罰の場合を除いては、その意に反する苦役に服せられない」とあります。
 それでは、「国民は」というのはどういうことでしょうか。「すべて国民は個人として尊重され、生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で最大の尊重を必要とする」と。
 ここでちょっと考えたわけです。「国民は」あるいは「すべて国民は」とあるものは、日本国籍を持つ人にのみ保障されて、「何人も」とあるものについては、あるいは何も宣言のついてないものについては、日本国籍を持たない者にも保障される、こういう考えがありました。私の学生時代に憲法の講義でそういう話を聞いたことがありました。それはおかしい、人間であるのに「国民は」ということはおかしいのではないかなと思いました。今日では、それまで問題にされることがなかった「すべて国民は」という表現は、本当は「すべての人は」あるいは「何人も」と読み替えられるべき状況を無視できないまでになっていると思います。
 外国人の人権を議論することは今では当たり前になりました。異なる人に人としての尊厳を認め、一人ひとりを同じように大切にしようという人権観念をもとに、多文化共生社会を求めるということです。世界の変化、国際社会の変化によって、日本社会も変化していく。すでに、多民族、多文化社会の方向に向かい始めた日本社会に共生以外の選択肢があるとは思えません。それに抵抗したときに起こるのがユーゴスラビアの事例なのです。

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