国際人権大学院大学(夜間)の実現をめざす大阪府民会議
トップへニュースへ調査研究へ組織概要へ会員募集へプレ講座へリンクへメールを送る
 

 

1.はじめに
2.単一民族国家
3.多様性にあふれる世界
4.多文化共生社会
5.国際化と多文化共生社会
6.国際人権
7.人権の国内受容
8.おわりに

【3.多様性にあふれる世界】

記念講演のようす 目を世界に向けてみますと、世界には様々な民族があり、国があります。その違いは千差万別、それぞれの国での生活があって、そこに生きる人々の生活感覚、価値観、道徳観、それぞれ違います。国によっては国内に複数の民族を抱え、複数の言葉を持っているところもあります。
 例えば、私が長い間暮らしておりましたスイスを例にとりますと、人口700万人で、そのうちの160万人程度が外国人です。その700万人の国民のうちの相当の部分が、親の代まで遡りますと外国籍の人ということになっています。言葉もスイス訛りのドイツ語を話す人が一番多いのですが、その他にもフランス語、イタリア語、今はもう1万人程度しか話せなくなったロマンス語という言葉を話す人たちがいます。それに加えて外国人は肌の色も違いますし、顔だちも違いますし、言葉も違う。そのような外国人が700万人のうち160万人、ちょうど九州程度の大きさの国に住んでいるわけですから、当然外国人を意識しないで生活するわけにはまいりません。
 過去には、民族や国の多様性が民族間あるいは国の間の優劣、強弱という観点から見られることがごく一般的でありました。例えば、ローマ帝国時代のローマの平和という支配体制がありますが、これが実現し、中国は中華思想でもって周りの国を睥睨(へいげい)しました。
 16世紀にスペイン、ポルトガル、そしてその後のイギリス、フランス、オランダのヨーロッパの列強諸国が植民地獲得に乗り出したわけですが、アメリカ大陸、アフリカ、アジアに進出していった強い国は、弱いものを支配し、強い国の言葉、文化、制度をあるべき文化として押し付けたわけです。それから、それらの植民地の住民は本国の人と同等の扱いを受けることはなかったのです。この状態が多くの植民地が独立する第二次世界大戦後まで続いていました。本国の文化と言葉が文明の証として広められ、教育されていました。ここでは多文化共生というのはなかったわけです。多民族共存はありましたけれども、多文化共生はなかったわけです。
 ヨーロッパ大陸を見てみますと、多くの国が存在します。ここでヨーロッパの話をしますのは一つの例として話すわけで、別にヨーロッパがすべての模範となるという意味ではありません。
 海に囲まれた日本とは違いまして、陸続きのヨーロッパでは民族の移動が頻繁に起こり、その歴史は抗争支配、交流の歴史であったわけです。その結果、それぞれの国に複数の民族が共存するという状態が生まれました。そこでは多数派と少数派の間に力関係ができまして、強い民族が国を支配し、その強い民族の言葉がその国の言葉となりました。多民族、多人種国家ではあっても、多文化共生とは言えません。現在でも人種差別、民族差別が深刻な社会問題の原因となる例は世界各地にいくつも見られます。
 移住労働者、不法在留外国人、経済難民と言われる外国人の流入が増えるとともに、外国人嫌悪、他人種、他民族、他宗教に属する国民または先住民に対する偏見や差別、そういうことが頻繁に起こるようになり、それから来る社会的差別の恒常化は、それぞれの国で政治問題化することが多くなりました。今のところ、多文化共生ができている国は決して多くはありません。
 最近の不幸な例をちょっと見てみましょう。ルワンダ、ユーゴスラビア、この二つです。「偏狭なナショナリズムと民族浄化」というスローガンを掲げて他民族抹殺を謀った。そして、無差別虐殺。自分たちと同じ民族でないということで、子どもでも殺してしまうわけです。ルワンダでは百万人以上です。ユーゴスラビアではセルビア民族主義をあおる候補者が大統領になると、組織的大量の虐殺が続きます。他民族に属する住民の強制移動、住居の破壊などもありました。
 結果として、民族融和と団結を誇っていたユーゴスラビアという国は六つの国に分裂してしまいました。分裂してしまった六つの国にやはり少数民族が残っており、民族間の問題もまだ存在しています。民族浄化ということが言われて、大変な数の人が殺されて、六つの国に分かれて、まだ民族問題があるという非常に悲しい現実です。
 ここ半世紀を見てみますと、次々と新しい独立国が生まれています。社会の一員となった国は日本や欧米諸国に対抗して、いわゆる非同盟開発途上国グループ(G77)というのを作り、それなりに国際社会で影響力を持とうとしたわけですが、そういうことも手伝ってか、民族間の交流、人々の交流が盛んになるに連れて、お互いにもっと知り合おう、人々の交流からお互いに人間として触れ合おうという動きがでてくるようになりました。世界の多様性を現実として受け止めて、互いの関係を優劣、強弱の観点からではなく、平等の関係、補完の関係として見るような新たな動きが始まりました。ちなみに申しますと、国連憲章では、民族の自決、国の間の平等、そして国と国との友好関係が国際社会を維持する原則であると言われております。

前のページへ 次のページへ

 

 

トップ | ニュース | 調査研究 | 組織概要 | 会員募集 | プレ講座 | リンク


(C) 国際人権大学院大学(夜間)の実現をめざす大阪府民会議